あの日と同じ月曜日…

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確か、あの日も月曜日だったと…

あの日というのは、6年前の『JR福知山線脱線事故』です。
月末(最終週)の月曜日には、9時くらいに宝塚駅近くで銀行に寄り大阪市内で別の銀行に寄ってから出社するということが、ほぼ毎月の習慣になっていました。
ただ、あの日は『25日の月曜日』ということもあり銀行に寄りませんでした。
関西の方ならご存知だと思いますが、五十日(ごとび)は銀行が混むことが多々あります。
まして、25日となると給料日の会社も多く、一層混む可能性があります。
ということで、銀行に寄るのをやめました。
もし、銀行に寄っていたら事故を起こした快速列車に乗っていたかも知れない。
普段は、真ん中からやや後ろの5両目に乗るのですが、大阪でも銀行に寄るつもりなので1両目に乗車していたはず。
銀行に寄らなかったので、普段と同じように1本か2本前の普通列車に乗り通勤しました。

そう思うとやはり人事ではない。

それに相変わらず JR 西日本の体質が…
今月に入ってとんでもない出来事が2つもありました。

JR西:運転士が運転中に携帯使用、乗客の通報で判明 – 毎日jp(毎日新聞)

言語道断です。

非常ブレーキ作動しない状況で運転 JR西の快速が60キロ、乗客は無事 – MSN産経ニュース

こちらは、運転士が異常を連絡したにもかかわらずそのまま運行したという。
こういうことが起こると、個人の問題ではなくやはり組織的な欠陥を疑ってしまう。

今年も『JR福知山線脱線事故』を風化させないためにも紹介させてください。

2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」

また、この事故で『がれきの下の医療(CSM – Confined Space Medicine)』をされた医師が、お亡くなりになっているということも残念でなりません。
阪神・淡路大震災を教訓に『がれきの下の医療』の必要性が認識されるようになり、おそらく日本で始めて本格的な『がれきの下の医療』を行ったであろう『JR福知山線脱線事故』。
その治療に携わった医師のおひとりがお亡くなりになっているというのは、とても悲しいです。

黙祷…

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